先生列伝(94)奈良先生 戸山高校新聞 第240号 1990年12月6日
「面の下の意外な素顔  〜奈良隆先生の巻〜 」


1985年卒業アルバム

1989年卒業アルバム

1988年卒業アルバム

 剣道。奈良先生といえばやはりこれである。そのイメージ通り学生時代のほとんどを剣道に費やしている。始めたのは中学になってから。きっかけは近所の中三の人がやっていたからというささいなものだが、これからのち、大学を卒業するまで毎日のように練習している。
 特に中学の頃は激しい。除夜の鐘の鳴る中、稽古をして年を迎えたこともあったという。「剣道を好きだとか嫌いだとか考えたことはなかった」という先生だが、何かひかれるものがあったからこそ苦しい稽古にも負けずに続けられたのであろう。
 高校では剣道を通していい先生に巡り会う。高校生であるのに、この先生の紹介で大学の剣道部の合宿に参加したりした。その大学というのが、この後入学した教育大学(入学した年より筑波大学に改名)である。先生が教師になろうと決意したのも、この恩師の影響だ。
 大学に入ると主将として活躍した。なかでも、四年のときの全日本学生の準々決勝で負けたときは思わず泣いた、とのことである。
 そんな先生が今はもう使わないで大切に保管している剣道具がある。高二のとき亡くなったお父さんが買ってくれたものだそうだ。「高校時代の思い出は親父が死んだこと。人生を真剣に考えるようになった」と辛い経験を話してくれた。
 これだけ読むと、イメージ通り剣道一色の人のようだがそういうわけでもない。剣道を始める前はバイオリンを習っていたり、絵画コンクールに入選したりしている。さらに小学校二年生ぐらいまでは小児ぜんそくで、体も丈夫ではなかったそうだ。
 大学のときには、恋もした。相手は(本当かどうかは別にして)「そりゃーもうすごい美人」だったそうだ。しかし失恋。敗因は「彼女が俺にホレてなかったから」だという。
 思い出多い学生時代を経て教師になった。「最初に行ったのが、ろう学校だったんだ」。耳の不自由な人に体育を教えていた。「剣道が全く役に立たない世界があるということを知った」という。そして戸山にきた。
 戸山の生徒にたいしては「ろう学校の生徒に比べれば、もっといろんなことができるはずなのにやっていない」との感想。また最初にこの学校に来たときは「汚いなあ」と感じたが、今は慣れてしまったという。
 戸山に来てもう七年になる。この七年間の間に三人の子供が生まれた。子供に剣道をやらせるんですか、と聞くと「強制するつもりはないよ。でもやってくれたら楽しいだろうね」。学校ではみせない「お父さん」の顔をチラッと覗かせた。
                           (TARO)

奈良隆先生 保健体育 戸山高校在職 1984〜93



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