先生列伝(100)新海先生 戸山高校新聞 第253号 1993年6月29日
 「異国の地で得た“笑顔”」  〜新海幸平先生の巻〜


1991年卒業アルバム

1993年卒業アルバム

 授業中いつも笑顔を絶やすことのない英語科の新海先生。「何か話すことあるかなあ」と悩まれていたが、取材には冗談を交えながら快く応じて下さった。
 先生は子どもの頃、ガキ大将だったせいもあって、勉強は「嫌いだし出来なかった」という。しかし、中学入学を契機に英語ぐらいは本気でやってみようと思い立ったそうだ。それ以後は生徒会活動や部活動で活躍され、充実した中学生活を送られた。
 高校に進まれると、中学でキャプテンを務めていた関係もあり、バスケットボール部に入部。しかし練習がハードだったことと部員の上下関係が封建的だったことから、一日で退部してしまった。先生はこのことについて「僕は軟弱な方かも知れないねえ」と幾分顔を赤らめて苦笑されていた。
 大学時代は、英語が専攻だったにも関わらずフランス文学に魅せられ、一時は勉強のことを忘れるほど本を読みあさった。ここで学んだ「リベラル精神がその後の人生に影響を与えたという。
 社会人になると先生は「英語の道に携わる」ことを決意。好きだったフランス語の力を試したいとの思いも手伝って、一年半もの間ヨーロッパを「放浪」された。フランスに十一ヶ月、イギリスに四ヶ月、アイルランドに一ヶ月滞在する等、各地を飛び回ったという。この期間の思い出には、フランスで現地の人に「日本人には珍しく文章で話をする」と褒められた事や、アイルランドでのヒッチハイク生活を送った事があるとか。その他、笑顔で接すれば初対面の人とも臆せず話が出来ることもわかったそうだ。先生の普段(不断)の笑顔は、このような考え方に起因しているようである。
 ところで、先生の御趣味は映画鑑賞や将棋をはじめ多岐にわたるという。特に映画の話題では黒澤明監督について熱弁を振るわれるほどであった。その入れ込みようは相当なものである。また、将棋は公認三段の腕前だという。
 取材中、先生はふと「僕の人生、本当はもっと波瀾万丈なんだよ」と意味深なことをおっしゃっていた。その言葉をかみ締めながらペンを走らせていくと、納得させられる事が非常に多かった。そしてもう一つ。先生の笑顔は、様々な経験を経て自然に身についた“勲章”ではないかと感じた。     (了)

新海幸平先生 英語 戸山高校在職 1989〜2000



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